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富山地方裁判所 昭和54年(わ)330号 判決 1983年2月28日

主文

被告人は無罪。

理由

第一公訴事実の内容とこれに対する総合判断

一本件公訴事実は、

被告人は、富山県上新川郡大沢野町坂本三、一一〇番地所在社会福祉法人セーナー苑に勤務する職員で、日本社会福祉労働組合セーナー苑分会の執行委員長であるが、昭和五四年二月二八日午後三時五〇分ころ、同苑あかしや寮指導員室において、同苑総務部長友山恵水(当時四二年)ほか一名から、被告人が執務時間中右労働組合の事務を執つていたと注意されたことに立腹し、やにわに同人に対して両手をもつてその胸部を突く暴行を加えて腰背部を同室出入口の扉に激突させたうえその場に転倒させ、よつて同人に対し加療約三週間を要する左第五肋軟骨々折等の傷害を負わせたものである。

というにある。

そこで本件の背景と概況を明らかにした後、本件公訴事実の問題点と同事実を有罪と認めがたい事情について説明することとする。

二本件の背景

当裁判所において証人、証拠物等を取調べ、検証を実施し、被告人の供述を求めてこれらを仔細に検討すると、検察側証人と弁護側証人及び被告人との各供述は種々の点で食い違いがみられるものの、次の諸事情は被告人も供述しており、他の証拠に照しても間違いないと思料される。

(一)  社会福祉法人セーナー苑(富山県上新川郡大沢野町坂本三、一一〇番地所在、苑長渋谷知一)は知恵遅れの精神障害者のための民間施設であるが、昭和五四年二月二八日当時、被告人は指導部育成係の指導員として苑生の保護と指導訓練にあたるかたわら、同苑に勤務する職員で組織された日本社会福祉労働組合セーナー苑分会(以下単に組合という)の執行委員長として組合活動の先頭に立つていた。

(二)  被告人は昭和四四年七月にセーナー苑に就職し、以後一貫して指導員として過し、この間昭和四六年三月に組合が結成されてからは役職を続け、書記長、副委員長を歴任して昭和五三年ころ執行委員長に就任し、現在に至つている。なお本件起訴に伴い苑就業規則に基づき昭和五四年一二月二七日以降休職となつている。

(三)  被告人らの組合は、施設の公民格差の是正、苑生の生活と権利を守り、職員の労働条件改善のため苑当局にはもとより国や県に対しても働きかけを行うなどの活発な活動をしていたところ、昭和五一年ころ当時の苑長代行が被告人の両親を呼出して組合活動を中傷し、また同年の異動の際には何の理由もなく被告人を主任のポストから降格するなどしている。更に昭和五二年一二月ころには同苑に第二組合ともいうべきセーナー苑職員連絡協議会が結成され、今日に及んでいる。

(四)  苑当局は、昭和五二年四月の人事異動の際、当時の組合役員六名中五名を指導部指導課に配置換させ、同年一〇月には残る一名も同課に異動させるなどして組合の活動家を指導部長牧野武(組合の初代書記長で部長就任とともに組合を脱退)のもとに集めている。

(五)  苑生や職員の生活を守るため次々と多くの要求を提出してくる組合の活動を好まない苑当局に対し、組合に理解を示さず組合の弱体化を図ろうとする苑当局に対する組合側の抜きがたい不信感が底流となつて両者の対立と不信感を深めるに至り、両者とも相手の立場や言い分など十分顧慮しようとせず、ともすれば自己の主張ないし立場だけに固執し、或いは押しとおそうとするに至り、お互いに柔軟性を欠く両者の態度の激突が本件トラブルを招来するに至つたと思われる。

三本件に至る経緯と概要について<証拠・略>を総合すると

(一)  昭和五四年二月二八日午後三時五〇分ころ、指導部長牧野武がグループ編成会議の終つたあと少し時間があつたため指導現場の状況を把握しておくためあかしや寮に赴き、プレイルームにいる苑生を見て同寮指導員室に入つたこと、そのころ総務部長友山恵水も阿部指導員の忌引の件で同指導員をマイクで呼出していたが見当らないので同人を探して玄関の方から牧野部長に相ついで右指導員室に入つたこと。

(二)  その時間は苑生把握時間であつたが、同指導員室では被告人が一人机の前で椅子に座り書き物をしていたこと、そこで牧野部長が何をしているのかと言葉をかけたところ、被告人は一旦書くことを止めて記載中の罫紙の上に表紙をかぶせて隠すようにしつつ「団体交渉の申入書を……」と言いかけて「今ここに座つたばかりだ」ということを言つたこと。

(三)  そこで友山部長がその書類を見せるように言つたが被告人は腕組みをして黙つていたこと、その後友山部長と被告人との間で「見せろ」「見せられない」ということで押し問答となり、牧野部長も「見せて差支えないのじやないか、見せなさい」と言つたが被告人は「私的なものだから見せる必要はない」と拒んだこと、両部長の方ではあくまでも見せるよう求め、更に「組合のそういう私的なものと苑の業務の公的なものとけじめをしつかりする必要があるということ、苑生の処置をほつたらかしにしているのはいけない」旨言つたりしたが、これに対しても被告人は殆ど応答していないこと。

(四)  右のようなやりとりの間に友山部長は、被告人に見せろと一歩踏み出すような拾好で被告人の机近くに寄つてきて、その書いていたものを見ようと罫紙の表紙に右手をかけ、めくろうとしたとき、いきなり被告人からその手を払いのけられたこと、その際被告人の手が友山部長の左手にも当り、左手にもつていたメモ用紙が床に落ちたため、友山部長はそれを捜そうと被告人の向つていた机の下をのぞきこむようにした際、突然その胸部を被告人に両手で突かれたこと。

(五)  友山部長は身構えるとか避けるとかいつたような余裕がなかつたため、不意を打たれそのまま三歩程(約0.9メートル)よろけて後の開いていた扉の把手(長さ約七センチのアルミ合金製)に左腰背部辺りを衝突したこと、後の方にあたる時分はほぼ尻餅をつく状態で辛うじて手で支え尻餅はつかなかつたこと。

(六)  被告人はそのまま勢よく指導員室の入口から室外へ飛び出していつたので、友山部長は起き上つて二、三歩廊下に出て「何をするんだ待て」といつたが、胸が締めつけられるような息苦しい感じを受けたためすぐ事務室へ引きあげたこと、右扉の把手に衝突の結果、友山部長は左腰背部挫傷の傷害を負つたこと(傷の内容、程度については疑問があるので後述する。)

(被告人の有形力の行使の点については、検察側の友山、牧野両証人の供述と被告人の供述との間にその食い違いが甚しく、前者は被告人が意識的にと、後者は部屋を出ようとして椅子を立ち上つたと同時に友山部長が被告人の方に一歩踏み出してきたため無意識に接触した旨消極的に供述しているが、裁判所としては、友山部長の証言中同人が暴行を受けた時点に関する部分は細部の点はともかく、大筋でほぼ一貫した供述をしており、しかも自己が直接肉体による感覚をもつて体験した事実に関するものであるから容易に忘れうるものでないこと、またこれを裏付ける牧野武の証言は、同証人の目前約一メートルないし1.5メートルの至近距離で目撃したことを内容としており、共に信用するに足るといえること、更に牧野証言の内容は、牧野部長から本件トラブル発生後約三〇分後に同部長から口頭で報告を受けた証人渋谷知一の証言によつても裏付けられており、被告人の所為は有形力の行使、即ち暴行の構成要件に当るものと判断した。)

以上のような状況が認められる。

四ところで職場内において、部下の上司に対するものであれば尚更のこと、労使の紛争に際しても、いやしくも暴行とみられるような有形力の行使が許されないことはいうまでもないことであり、どのような事情が存在したにせよ、被告人が前叙のような有形力を行使し友山部長に対し、たとい後記のような軽度なものとはいえ傷を負わせたことは甚だ残念なことである。加えてその報を受けたとき、速かに友山部長にはもとより治療に当つた医師にすらその状態を確かめることなく、独自ないし周囲の推測・判断に基づいて仮病扱いにしたり一方的に中傷するような行為に出たことは、被告人及び組合関係者にも強い反省がのぞまれることである。そしてそのようなことが友山部長に本件の真相を明らかにさせる決意をますます固めさせ、弁護人や苑長らの仲介、努力による示談成立への障碍ともなつて本件起訴に至らせた一つの原因となつていることは否定できないところである。

前記概要に照らすと、牧野、友山両部長は被告人の時間内における組合文書作成を服務規律違反としてとらえ叱責、詰問しているのであるが、これに対し被告人は右作成行為は団体交渉に付随した事項としてこれまで苑側から慣行的に認められたものとしてとらえ、しかも今回の申入書作成は事柄の性格上緊急性もあつたことや苑生把握といういわば指導員にとつて手待ち時間的な間に短時間(二―三分)で終る作業であつたことから、その詰問の方法、内容とも相まつて団体行動権の侵害(組合攻撃)という風に受けとめ、更に申入書罫紙を取り上げられようとしたことで一層その危機感を深めていたことが窺われる。

従つて、被告人が牧野、友山両部長の叱責、詰問に殆ど沈黙していたが(この点被告人は牧野部長が話し終わると友山部長、友山部長が終わると牧野部長というように交互に大きな声で迫つてきますのでしやべる余裕がありませんでした、と供述している。)、更に申入書罫紙を取り上げられようとするに及んで一人だけでは両部長と対等冷静に話合えないと考え、阿部執行委員(当時約三〇メートル先の若竹寮にいた)を呼んでくるといつて部屋を出ようとしたことは、当時の両部長の叱責内容にも照らしやむを得なかつたと思われる。(もつとも、苑側としては職員の勤務時間中の組合活動については団体交渉以外認めない立場をとつていたことが証拠上肯認できるので、牧野、友山両部長が被告人に注意をしたこと自体問題のないところである。一般的にも管理者側が業務命令権を行使しているとき労働者側としてこれを受忍する立場にあることはいうまでもないが、本件の場合は受忍の限度を超えるような叱責態度であり、かつ労働者側の権利を侵害するおそれもあつたといい得る。)

(ただ部屋を出ようとする際、友山部長が被告人に接近していたとはいえ、同人がことさら被告人の退出を阻止するような行動もとつていない以上、暴行とみられる粗暴な方法をとることは一切許されないといわなければならない。)

してみると、友山部長が直接被告人の手中から団交申入書罫紙を取り上げようとした点はいささか行き過ぎた面もあるものの、被告人の右有形力の行使とその結果が、刑事上処罰に値するものか否かということは、それが発生した経緯のほか、背景、態様を検討するとともに傷害の内容(症状)・程度をもつぶさに吟味し、前後の事情も併せ考え、法秩序の精神にかんがみ判断すべきことと思料する。

本件友山部長の受傷が発生した事情は、前叙のとおりであるが、これを更に補足整理する。

(一)  牧野・友山両部長は、苑生把握時間中における被告人の前叙のような行動を規律違反行為としてとらえながらも、苑生把握業務に就くよう言及することなく、専ら組合委員長用務の仕方を声高に激しい調子でこもごも非難詰問し、苑長に報告のための資料とすべく友山部長は強いて被告人の手中から書きかけの罫紙を取り上げようとしたものであつて、上司とはいえいささか冷静さを欠いた感情的行動態度であつたと思われること。

(二)  このため当初は腕を組み両部長の詰問、叱責を黙つてきいていた被告人は、友山部長が被告人の書いていた罫紙に手をかけようとするやその手を払いのけ、組合委員長の時間内の団交申入書作成用務について冷静に話し合えないと思い、阿部執行委員を呼んできて一緒に対等に話し合おうと考え、更に友山部長が一歩被告人の方へ寄つてきたとき、阿部さんを呼んでくるといつて、その書いていた罫紙を掴んで椅子を後に引き立ち上がりざまに部屋の外に出ようとした際、友山部長と出会い頭に衝突する形で、同部長を突き倒し、そのまま部屋の外へ飛び出していつたこと。

五前記背景的情況に加えて次のような諸状況が認められる。

(一)  被告人は、牧野・友山両部長の執拗な詰問に困惑して阿部執行委員を呼ぶべく言つて椅子から立ち上がり、部屋の出口に向かおうとしただけで、それ以上に友山部長の身体に積極的意図的に暴行を加えようとしたものではないとみられ、かつその行動は至近距離(被告人の椅子から約0.4メートル位の位置)に友山部長がいたこともあつて偶発的であること。

(二)  被告人が牧野・友山両部長からの申入書罫紙の引渡要求を拒み、全然これに応じる見込がないにも拘らず、こもごも声高にその提示引渡しを求め、友山部長においては自ら当該罫紙に手をかけ、申入書罫紙を取り上げようと迫つてきたことは、上司とはいえ、いささか常軌を逸した行動であつて、これを組合関係の書類であるが故にその引渡しを拒絶した組合委員長たる被告人の態度は非難されるべきこととはいいがたい。このようなときにおける被告人の行動を正しく評価するためには牧野・友山両部長の注意の仕方なり態度に対する被告人の労働者意識に徹した心理反応を見過すべきではないと思料されること。

(三)  友山部長が被告人に突き倒されたとき、友山証人も「起き上つて二、三歩彼のあとを追うように寮の外へ廊下の部分へ出ました」(第三回公判調書中証人友山の供述部分)と供述し、そばでこれを目撃していた牧野部長も「とくに怪我をしているとは思いませんでした」と供述しているほか、「そのあと本人が病院へ行つたということを聞きました。ただし、そのときには病状はそんなに大したことないんじやないかというふうに思つておりましたが……」とも述べており、客観的にも大した怪我をする状況ではなかつたこと、被告人も椅子から立ち上がりざま間近にいて友山部長に出会い頭に衝突した認識はもつていたものの、同部長が何かにぶつかる音も聞いていないうえ、すばやく立ち上つて被告人の後を追うようにして廊下で声をかけた同部長が受傷するなどとの認識をもたなかつたとしても不自然ではないこと。

(四)  被告人は、組合の執行委員長であり、長年組合役員をしているものであつて、いやしくも刑罰法規に触れるような行為は労使の確執が問題となつている時期に明らかに本人並びに組合にとつてマイナスとなることを承知していたものと思料されること、まして友山部長との関係は上司と部下の関係であるうえ、これまで被告人らの組合を弱体化すべく干渉がましい行為をしていたことの窺われる管理者側に乗ずる機会を与えないためにも上司への暴行を起すことなど慎しむべきであることは十分承知していたと思料され、性格的にも温厚でこれまで一度も暴力事犯に問われたことなどない人物であること。

(五)  被告人は、「阿部さんを呼んでくる」と言つて椅子から立ち上がり部屋の出口に向かおうとしたとき出会い頭的に被告人の身体(両手)が友山部長の左胸辺りに突き当つたものであるが、当時被告人の体重約八三キログラムに対し、友山部長のそれは約六八キログラムであつたため、友山部長の方でそれを強く感じたことは想像にかたくないこと。

などの諸事情が認められる。

六次に傷害の内容及び程度について検討するに、<証拠>によると

(一)  友山部長が本件有形力の行使を受けた際、あるいはその直後何ら痛みを訴えるような発言をしておらず、転倒後もすぐ起き上がつて被告人を追いかけていること。

(二)  その後、胸が締めつけられるような息苦しい感じがしたので友山部長は医務室へ行き、看護婦に脈や血圧を測つて貰い、看護婦のすすめで公用車で柳瀬整形外科へ行つたが医師が不在のため、近くの吉山医院で手当(内服薬と湿布薬の投薬、注射)を受け、その後自家用車を運転して八尾町の自宅へ帰宅していること。

(三)  翌三月一日、友山部長は痛みが強かつたので妻に車を運転させて柳瀬整形外科医院へ行き、柳瀬医師の診断と手当を受け、レントゲン撮影をしたうえ左腰背部に冷湿布してバストバンドで締める処置をして貰つたこと、なお右診断に際して友山は健康保険証を使用せず診療を受け、当日から三月一一日ごろまで苑を欠勤していること。

(四)  セーナー苑長は、友山部長の診断書を二通受取つているが、当初の診断書では加療二週間となつていたが、後で提出された昭和五四年三月一日付診断書(作成者 柳瀬茂宜医師)では左第五肋軟骨々折、左第一二肋骨亀裂骨折、左腰背部挫傷、三週間の加療を要するとなつており、当公判延に検察官から提出の診断書も後の分と同一内容であること。

(五)  前記柳瀬医師の証言及び友山部長の診療録並びレントゲン写真(三月一日付三枚、三月三日付一枚―昭和五六年押第一四号の2、3)を総合すると、柳瀬医師は左第一二肋骨亀裂骨折について「左第一二番目の肋骨に薄い線が入つていて亀裂骨折だと判断した」旨供述し、更に「赤くなつたところと、そこを押えてみると根元でなしに途中で肋骨が曲がるような気がしたので私は亀裂骨折の疑いがあるから、こういう診断をつけた」旨供述する。しかし当日友山の左肋骨を二方向から又腰椎を正面から撮影したレントゲン写真所見では、同医師も「誰れでもわかるようなものではなかつた」が、ただ「怪しいところはあつた」と言い、診療録の三月一日欄にはO・Bオーネーベフトン(特に所見はない)との記載がされている。更に同医師は「写真で怪しいと思つたのは一一番目ですけれどもこのカルテには一二と書いてあります。」「一二番目には(傷害は)ございません。」と証言しながら、「写真になくたつて症状があれば書きます。」「この怪しいの症状で……」と供述するけれども右証言と診断書の記載との食い違いは明らかであり、結局「左第一二肋骨亀裂骨折」はもとより「左第一一肋骨亀裂骨折」の存在も疑わしいので、右症状を傷害として認定することは困難である。更に、左第五肋軟骨の骨折についても柳瀬医師の診療録の上では初診時に記載がなく、三月三日の診療の際、初めて左第五肋軟骨についての所見(圧痛)とレントゲン写真の記載がなされていること、同医師は「(肋軟骨は)レントゲンには写りませんが、外見なり圧痛なり過去の経験によつて私は第五肋軟骨の骨折と診断した。」「肋軟骨の骨折は……三―四日して痛みが増強してきて一〇日前後で必ずその部位に骨の、要するに我々は骨がついてきた証拠に骨というものは太くなつて治るんでそこに必ずこぶのようなものが出てくるんです、そういうものが出てくるということは……骨折だつたとかひびであつたとかそういうものがあつた証拠になるので、私は過去の経験上、大体レントゲンにあらわれなくても、こういう診断を下しておるのです。」(骨が出たりなんかする痕跡は)「その後の時点ではみております。」(肋軟骨々折の痕跡があるかどうか)「触つてみるのです。」と供述しているけれども、診療録にはかかる骨折状況の記録はもとより、痕跡のことも一切記載されていないことであり、このような重要な所見についてカルテにも記載がない以上、医学的にも右症状の存在は疑しいといえる。加えて、痛みをやわらげるため注射をした旨供述するが、診療録の上では三月一二日なら一六日にかけて一日おきに鎮痛薬の注射がなされていることが認められ、三―四日して痛みが増強してくるとの診断とも矛盾しているので、右症状についても認定の根拠が必ずしも明らかといえない。従つて、右症状についても合理的な疑いを容れないまでの証明があつたとはいい得ないのでこれも傷害として認めがたい。

左腰背部挫傷は、柳瀬証言によると「左の背中と腰の境あたりに何か当つたように赤く腫れあがつてそこに非常に圧痛がありました。」とあり、診療録にも「圧痛」の記載がなされており、友山部長の自覚部位とも合致している。しかし、右症状はいわゆる打撲傷で患者の訴えに左右されるところも大きく、その程度を正確に判断することは困難であること。

(六)  友山部長は、左腰背部に三月二〇日ころまで痛みが残り、三月一九日まで柳瀬医師の診察を受けたというが、三月四日から三月一一日までは投薬だけで同医師の診察を受けていないこと、右患部が赤く腫れていたのは七―八日間ぐらいであつたこと、そして出勤しはじめた三月一二日から一六日まで一日おきに通院して鎮痛薬の注射を受けるなど急に診療密度が濃くなつていること。

(七)  友山部長は三月一日からセーナー苑を欠勤していたが、三月六日には大沢警察署へ告訴準備のため出頭し、八日には苑に顔を出して副苑長に会つており、九日には午前中県立中央病院へ行つてから午後婦中町の檀家の葬式に出て僧侶としての勤めを果し、更に本件の告訴手続をとつているほか、一〇日の大沢野警察署へ出頭して取調べに応じているなどしていること。

(八)  友山部長は、前記の期間苑を休んでいるが、休んだ理由は、同じ姿勢で座つているのが苦痛だつたというにあるが、その間前記のような多忙な行動もとつていること。

等の諸情況が認められ、これらを併せ考えると、友山部長が当日受けた傷が診断書記載の症状でかつ約三週間の安静加療を要するものであつたかどうかは極めて疑わしいものと思われる。要するに、友山部長の受けた傷は日常生活に殆ど支障を来たさない程度の軽いものであつたと解される。

七右傷害の程度と前記の諸情況とを併せ考えると、被告人が指導員室から出ようとした際に行使したとみられる有形力は、当時の前叙のような情況のもとでは当初から計画的に有形力を行使しようという意向は全くなく、阿部執行委員を呼びにいくと言つて椅子を立ち部屋の外へ出ようとしたところ、友山部長がその前方にふさがる形で近づいていたため成行上出会い頭的に突き倒すというやや粗暴な事態が生じたにとどまり、他に何ら暴行行為に及んでいないのである。

しかも被告人が申入書罫紙の引渡し要求を拒み阿部執行委員を呼んできて前記両部長と話合おうとしたことは組合委員長としての立場上、心情的にも無理からぬことであり、労使対等の場で提出すべき団体交渉申入書を命令口調でいわれて断つたからといつて直ちに上司の命令に従わなかつた常軌を逸した態度とはいい得ない。また被告人の行使した有形力の程度は、間近にいた牧野部長ですら「大したことはないと思つていた」「その時点で私は怪我をしたとかそんなこととは思つておりませんでした」と証言しているように一般社会生活において殊更問題にされることなく看過される程度のものであつたと考えられる。加えて、その結果も有形力の行使によつて友山部長が二―三歩後に後退して倒れる際、その左腰背部が開いていたままになつていた出入口の扉の突出した合金製把手に当たるという被告人の予期しない経過をたどつて発生したものであること(右結果の発生と被告人の行為との間に因果関係は認めざるを得ない。)、傷害の内容程度も前叙のように公訴事実(診断書の記載)と異なり、せいぜい八日程の安静加療を要する左腰背部挫傷にとどまり日常生活にさほど支障はなく、その客観的程度は軽微なものであつたと解せられる。

以上のように、本件は偶発的で非典型的な有形力の行使に伴うものであつて、傷害も右に示唆したような微妙な関係、状況のもとで発生した疑いが強く、その程度も前叙のようなもので、その背景をも併せ考えると被告人の本件行為は全体として反規範性の薄いものと認めざるを得ない。右のような有形力の行使によつて発生した軽微な結果を単に外形的にとらえて刑法二〇四条の傷害罪として処罰することは、同条の立法趣旨及び正義と公平を旨とする法秩序全体の精神に徴すると相当でないと思料される。

結局、本件はいまだ法的処罰に値する犯罪の証明が十分でないことに帰する。

第二弁護人の公訴棄却の主張に対する判断

弁護人らは、本件公訴は一面的不当な捜査に基づき被告人らの正当な組合活動を抑制するため、ささいな労使間のトラブルに介入してなされた偏頗な公訴提起で公訴権の濫用に該当するから、刑事訴訟法三三八条四号により公訴棄却の裁判をすべきであると主張しているので、この点について判断する。

よつて、検討するに、刑事訴訟法では公訴の提起の権能を検察官に独占させ、しかも公訴権の行使を検察官の裁量にゆだねている。しかしながら、その行使については右裁量権が濫用されることのないよう自ずから合理的な限界が存するところである。従つて、当該公訴の提起が客観的に判断して合理的な裁量権行使の範囲を著しく逸脱していると明らかに認められる場合には公訴提起の手続の違法を理由に公訴棄却される場合のあることは弁護人主張のとおりである。

そこで、本件事案の態様並びに捜査の経過等に関する事実に照らすと、本件が労使間で発生した事案であり、しかも暴行が一回かぎりの被告人が部屋を出ようとした際、前に立ちふさがる形で接近していた被害者に対する偶発的なもので、その程度も格別強いものでなかつたにせよ、そのことだけで本件公訴提起が合理的な裁量の範囲を著しく逸脱しているということはできない。また捜査が一面的というが検察官は被告人に事情聴取をしたものの黙秘権を行使して被告人に有利な事情も一切供述しなかつたため被害者側から蒐集した資料によつたものであつて、検察官が本件につき告訴人の自発的かつ適法な告訴に基づき捜査した結果、犯罪の嫌疑があるとして公訴を提起したのは公益の代表者としてやむを得ない処置であつたといえる。

更に本件公訴提起が労働組合活動を抑圧する意図をもつてなされたとの点についてもこれを疑わせるに足る事実は認められず、その他本件の審理を通じその公訴提起行為に顕著な裁量権逸脱にあたる事実があるとも認めがたい。

従つて、本件公訴が公訴権を濫用して提起されたものであるということはできず、この点を理由とする弁護人の主張は採用することができない。

第三結論

以上のとおり、本件公訴を棄却する理由はなく、被告人の本件所為は傷害の点についても結局犯罪の証明がないことになるので、刑事訴訟法三三六条に従い、無罪の言渡しをすることとした。

よつて、主文のとおり判決する。

(大山貞雄)

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